神戸地方裁判所 平成9年(ワ)163号 判決 1999年1月11日
原告
花田武
被告
同和火災海上保険株式会社
主文
一 被告は、原告に対し、金一五七四万円及びこれに対する平成九年二月七日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。
四 この判決の第一項は、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一原告の求めた裁判
被告は原告に対して、金三〇〇〇万円とこれに対する平成九年二月七日(訴状送達の翌日)から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
一 原告は、後記の交通事故(以下「本件事故」という。)により、頸髄損傷の傷害を受け、後遺障害が残存したとして、事故の相手方車両が自賠責保険契約を締結していた保険会社である被告に対して、自動車損害賠償保障法一六条に基づき、後遺障害による損害につき賠償責任保険金の直接支払を求める。
二 交通事故の発生(当事者間に争いがない。)
1 発生日時 平成三年一二月二三日午後六時一五分ころ
2 発生場所 洲本市納二三一―九地先国道二八号線交差点
3 加害車両 大型貨物自動車(神戸一一き三九七六)
4 右運転者 高田利之
5 被害車両 普通乗用自動車(神戸五五え八九〇三)
6 右運転者 井實司郎
7 右所有者 高田運送株式会社(運行供用者)
8 争いのない範囲の事故態様
原告が乗客として後部座席に乗車していた被害車両(タクシー)が交差点を右折しようとして停止していたところ、後方から進行してきた加害車両が追突した。
三 被告の責任原因
被告は、加害車両の保有者である高田運送株式会社との間に、加害車両について自動車損害賠償責任保険契約を締結していたから、加害車両の運行によって人身被害を被った者に対して、自動車損害賠償保障法一六条一項により保険金額の範囲内で賠償金の支払義務がある(当事者間に争いがない。)
なお、原告と高田運送株式会社との間では、平成四年一〇月一五日に示談が成立した。その内容は、原告に本件事故と因果関係のある後遺症が発生した場合には、原告において加害車に付保された自賠責保険の保険会社に対して後遺症による賠償金につき保険金の請求手続をすることとし、その他の損害一切につき既払金のほか八〇万円を支払う、その他の請求はしない、などというものである(甲三)。
四 争点
1 原告の後遺障害の症状と程度。
2 消滅時効の起算点としての、症状固定時期。
(本訴提起は平成九年二月三日)
3 後遺障害による損害額。
五 争点1―後遺障害の症状と程度―に関する当事者の主張
1 原告
原告は本件事故により頸髄を損傷した。その治療・症状経過は次のとおりである。
(1) 翠鳳第一病院(以下「第一病院」ともいう。)に入院。
事故現場から救急車で搬送されて、事故当日の平成三年一二月二三日から平成四年一月一二日まで。
右上肢が動きにくくなって力が入らず、箸も掴めなかった。右上肢には知覚障害もあり、点滴が漏れても気づかないほどであった。
入院中、歩行器を使っての歩行は可能となったが、右下肢の運動障害及び知覚障害がひどかった。
尿意がなく、自力排尿が困難で、看護婦にマッサージしてもらってかろうじて排尿ができていた。
頭痛、頸部痛、吐き気及び嘔吐もあった。
(2) 第一病院に通院。
平成四年一月一三日から同年二月一四日まで。
通院時には片手杖でかろうじて歩行できるようになっていたが、右下肢にけいれんがおきるようになった。
右上肢、右下肢の運動障害、知覚障害は依然として続いており、右下肢にけいれんが起きるようになっただけ悪化したと言える。
尿意は戻ったが、点滴をしてもらっても十分な排尿が得られず、残尿感があった。
頭痛、頸部痛、吐き気及び嘔吐は継続していた。
(3) 福井接骨院に通院。
第一病院への通院に代えて、同病院での終診直後から後述の県立淡路病院に入院する直前までほぼ毎日。
低周波治療、頸部の牽引等の治療を受けたが、状態は第一病院通院当時とほぼ同様であった。
(4) 県立淡路病院(以下「県立病院」ともいう。)内科に通院。
平成四年三月一七日から同年七月一日まで。
同年二月ころから食事の直後に、多量に摂食した訳ではないのに、外から見てもわかるほどに胃部が膨満するようになった。腹部X線上で著名な胃拡張が認められ、外傷性胃拡張症との診断の下に投薬治療を受けた。
(5) 県立病院内科に入院。
平成四年七月二日から同年八月二七日まで、右の外傷性慢性胃拡張症の治療のため入院した。
右治療の結果、一日に一回、少量の食事を摂るに止めれば、胃部が極端に膨満することはなくなった。
なお内科に入院治療の間、あわせて同病院整形外科での治療も受けたが、右上下肢の障害については顕著な改善は見られなかった。
(6) 県立病院整形外科に通院。
平成四年八月二八日から現在に至るまで通院している。
<1> 原告は平成七年一〇月一三日、同病院整形外科で症状固定の診断を受けた。
診断によると、傷病名は頸髄損傷とされ、右下肢全体の筋力低下、右上肢全体及び右下肢足関節の知覚鈍麻があるとされ、MRIにおいて第三頸椎レベルにローシグナルを認める、とされる。さらに右上下肢の各関節及び指の運動制限がある旨の診察結果もある。
<2> 原告の後遺障害の症状は次のとおりである。
右上肢がほとんど使えない状態にある。肩、肘、及び手関節の動きが制限され、肩及び手関節について自動車損害賠償保障法施行令二条別表(以下、級・号につき同じ)一〇級一〇号、肘関節について一二級六号で、同系列の障害として総合して八級程度と見られる。また母指がまったく動かない(一〇級七号)ため、物を掴むことが困難である。
右下肢は股関節関連の筋肉が萎縮したためか、腰が曲がり、足首の関節が固くなって足先が内側へ曲がってきている(それぞれ一二級七号。同系列の障害として総合して一〇級相当と見られる。)。さらに毎日抗けいれん剤を服用していなければ右足にけいれんが生じる。
歩行には片手杖が必須である。
排尿は一応自力で可能であるが、いつも残尿感がある。
外傷性胃拡張症については一日一回の少量の食事摂取に制限し、かろうじて胃部膨満を防いでいる。七級五号に当たると見られる。
以上のような原告の後遺障害は、総合して、同別表の五級に当たる。
2 被告
原告が、第一病院に平成四年一月一二日まで入院し、二月一四日まで通院したこと、福井接骨院に通院したこと(ただし頻度は不知)、県立病院内科に三月一七日から七月一日まで通院し、七月二日から八月二七日まで入院したこと、八月二八日から同年九月四日まで同病院整形外科に通院したことは認めるが、その余の加療は知らない。
県立病院内科における診断名は、「外傷性」ではなく、「外傷後」慢性胃拡張症である。
(1) 平成七年一〇月一三日に症状固定の診断を受けたこと、その際「頸髄損傷」とされたことは認めるが、その余の症状は不知。原告の後遺障害が後遺障害等級表五級に該当する点は否認する。
原告は、第一病院に入院中、レントゲンには骨損傷などの異常所見はなく、MRIでも異常所見はなく、「頸推捻挫」と診断されていただけで、頸髄損傷を窺わせるような重篤な症状はなかった。その後も、三月一七日に腹部膨満感を訴えて県立病院内科を受診するまでは非医療機関である接骨院で施術を受けていただけである。そして事故から半年以上経過した七月三日に至って、県立病院整形外科を受診し、「頸髄損傷」と診断を受けたものである。
頸髄損傷が生じるには頸部に強い外力が加えられる必要があるところ、本件事故による被害車両の損傷の程度は大きくなく、その損傷状態から見ても、本件事故による衝撃は原告の頸髄損傷を生じさせるようなものではない。
治療経過、事故後四〇日間の症状、治療経過、車両の損傷状態に鑑みれば、原告の本件事故による受傷は単なる頸部捻挫に過ぎず、原告が主張するような重篤な後遺障害をもたらすものではない。
(2) 仮に原告の受傷が頸髄損傷であるとしても受傷直後の症状からして、原告が主張するような後遺障害を生じるような傷害でなかったことは明らかである。
胃拡張は本件事故と因果関係がない。原告の第一病院における症状は頸椎運動制限と頸部痛のみであり、腹部の異常は認められていない。事故から二か月以上経過してから腹部膨満感を訴えており、本件事故による受傷が原因とは考えられない。
(3) 原告には後遺障害は残っていない。仮に何らかの症状が残存しているとしても、自賠法の後遺障害等級表に該当する後遺障害ではない。原告が主張するような症状があるとしても本件事故と因果関係はない。原告は平成四年一二月二四日にも症状固定診断を受けているが、その診断書には、「MRIにて頸髄に信号低下あり。X―Pに異常なし」との記載があるだけで、右下肢の筋力低下や右下肢全体の知覚鈍麻という症状の記載はない。すなわち事故の一年後にはこうした症状はなかった。その後になってから新たな症状が出現したとしても、本件事故によるものではない。
六 争点2―消滅時効の起算点としての症状固定時期―に関する当事者の主張
1 被告
原告は、平成四年一二月二四日にも県立病院整形外科で、同日を症状固定日とする後遺障害症状固定診断を受けた。
(1) 原告が主張する平成七年一〇月一三日の症状固定診断書は右の診断書と、傷病名、自覚症状、関節機能障害の欄の記載は全く同じであって、前者の診断のままである。
(2) そうすると、最初の時点で症状固定となっていたもので、原告は、この時点において後遺障害による損害並びに加害者を知ったものであるから、自動車損害賠償保障法一九条により、それから二年の平成六年一二月二四日の経過によって、被告に対する請求権は時効消滅した。
(3) 仮にけいれんの発症が本件事故によるものであるとしても、平成六年一月二五日の診察時には既に出現し、同年四月一九日には抗けいれん剤の投与量が増加しているのであるから、遅くともこの時点でこの症状は固定していたものであって、本件事故による後遺障害の損害を知ることができたから、それから二年の経過により本件請求権は時効消滅した。
2 原告
認める。
(1) 診断書の記載内容のうち検査数値等が同じであるのは認めるが、症状は異なる。
(2) 争う。原告は平成四年一二月二四日以降も症状は悪化し、けいれんが起きるようになり、抗けいれん剤の投与、さらには増量がなければけいれんが治まらないという状態になった。このため、いったん症状固定とされたものの、その後の状態の変化を見たうえで平成七年一〇月に改めて症状固定と診断されたのであるから、原告の被告に対する請求権について時効は完成していない。
(3) 争う。症状が出現した場合にそれに対する治療による効果の有無や程度の判定、症状の進行・悪化あるいは改善の可能性の判断が可能となるのは治療開始よりもかなり後になるのであって、投薬が増えたからといって、その症状が固定したとは言えず、時効は進行しない。
七 争点3―原告の損害額―についての当事者の主張
1 原告
原告は本件事故当時、洲本市内の田中化学工業所に勤務していたが本件事故により就労不能となり解雇されて、その後も就労できないまま現在に至っている。
(1) 逸失利益は次のとおり、六六九三万一八六二円である。
症状固定時年齢三九歳(就労可能年数二八年)
新ホフマン係数 一七・二二一
賃金センサス平成六年一巻一表の男子労働者の小・中学校卒業者の年齢階層別の年収額四九一万九八〇〇円
五級の労働能力喪失率七九パーセント
4,919,800×0.79×17.221=66,931,862
(2) 慰謝料 一三〇〇万円
(3) 合計 七九九三万一八六二円
(4) なお、原告は本件事故以前から、身体障害者手帳五級の障害(両側上下肢の軽度の障害)があったが、きわめて軽度であった。またこの障害は本件事故まで増悪することはなかったから、本件事故後の症状の悪化とは関係がない。
(5) よって、自動車損害賠償保障法一六条により、被告に対して直接三〇〇〇万円の支払を求める。
2 被告
損害の発生はすべて不知。
(1) 仮に原告の主張する後遺障害と本件事故との間に因果関係があるとしても、原告は本件事故以前から右上下肢に障害があり、身体障害者等級五級の認定を受けていたのであるから、後遺障害に基づく損害の算定にあたっては右障害を考慮すべきである。
(2) なお、自動車損害賠償責任保険における後遺障害等級五級の保険金額は一五七四万円である。
第三争点に関する当裁判所の判断
一 原告の後遺障害の有無・程度
1 鑑定人長島弘明の鑑定結果(以下単に「長島鑑定」ともいう。)によると、原告には、平成一〇年三月に鑑定診察した時点において、上下肢に次のような障害がある。
両側の上下肢に明らかな腱反射の病的な亢進がある。特に右側にその程度が著明で、バビンスキー反射や足クローヌスの病的反射が見られる。右側は上肢下肢ともすべての関節の自動性が僅かであり(可動域が少ないうえ動きが緩慢で努力的である。)、日常生活動作の用においては全廃の状態にある。知覚の障害も、右側上下肢の全体について訴えている。触覚、痛覚、温冷覚のすべてにあり、手部と足部の鈍麻は高度である。振動覚の低下も訴える。筋肉のけいれん発作が抗けいれん薬を服用しなければ一日のうちでも頻回に起き、けいれんが持続するときは痛みを伴う。歩行は一本杖を使用すれば屋内移動が辛うじて可能な状態である。しかし一〇メートルの移動に約一分の時間を要し、屋外での歩行には介助者を必要とする状態である。
2 このような症状が本件事故に原因すると言えるかについて見る。
本件事故の原告の入通院経過は次のとおりであった。
原告は、事故現場から救急車で搬送されて、事故当日の平成三年一二月二三日から平成四年一月一二日まで第一病院に入院した。退院後の通院は同年二月一四日までで止め、その後福井接骨院に通院していた。そして胃部の膨満のため同年三月一七日に県立病院内科を受診して胃拡張症と診断されて通院していたが、その症状の改善のために、七月二日に同病院に入院した。入院後すぐに同病院整形外科の診療も受けるようになり、八月二七日に退院した後も同科に通院した(当事者間に争いがない。)。
(1) 原告は、同年一二月二四日に、同病院整形外科の庄医師により、いったん症状固定の診断を受けた(乙三)が、その後も同科に通院し(甲七)、三年後の平成七年一〇月一三日に同医師により再び症状固定の診断を受けた(甲二)。その診断書には、傷病名は「頸髄損傷」、自覚症状は「右上肢の機能障害、右下肢の機能障害」とあり、精神神経の他覚症状及び検査結果として「右上肢全体の筋力低下あり。右上肢全体及び右下肢足関節以下に知覚鈍麻あり。MRIにてC3(第三頸椎)レベルは低信号を認める?か」とある。そして関節機能障害の有無につき、左右の肩・肘・手関節、手指の各関節、股関節及び膝関節の屈曲や伸展等の検査結果が記載されている。
右の症状は、1に認定した現在の症状とおおよそ同じであると言える。
(2) 原告は、事故直後の症状経過について、およそ次のとおり述べる。
本件事故による頸椎への衝撃は相当に強く、第一病院に入院直後から症状は重く、右上肢と右下肢に力が入らず、一週間ほどはトイレにも行けなかった。知覚障害もあって、点滴が漏れても気づかないほどであった。約三週間後の退院時においても、杖を使わないと、二、三歩しか歩けなかった。と。
原告が述べるとおりであるとすると、頸髄損傷が疑われるので、当分の間は絶対安静を要し、受傷後少なくとも三週間は外出や外泊は許されない。(長島鑑定)
(3) ところが、第一病院の診療録(甲四)には、一貫して四肢における脱力症状の記載はない。ただ当初から右手第四、五指のしびれを訴えていたことや、ときに足が引きつったとの訴えがあったことが記載されているに止まる。事故後四日目に発行された診断書には「頸椎捻挫」の病名で事故日から一週間の安静加療を要する、とある。事故から一週間の一二月三〇日から一月六日まで原告の希望で外泊を許可している。退院日の記載では、四肢における腱反射の亢進が図で示されているが、運動障害があるとの記載はない。病的反射についてはバビンスキー反射が陰性である、と記載があるがクローヌスの有無は記載がない。握力は右側二〇kg、左側二八kgとされる。看護記録にも重い障害の記載はない。
すなわち原告の主張しあるいは供述する症状と、第一病院の診療録、看護記録との間には内容に大きな相違がある。
(4) 他方、県立病院内科の外来診療録(甲五)には、初診の三月一七日欄の記載として、「右半身の硬直、感覚障害あり。右手指の屈曲拘縮あり。右痙性運動麻痺あり。」という記載があり、このころ既に、現在の症状につながる症状が存在したことを示している(なお、この時の記事には、「第一病院入院後に当院脳外に転科。頸椎の位置異常(C3、4、5)ありて受診中」と判読できる記載があるが、本件ではこの脳外科受診の事実及びその診療内容については、当事者は全く触れず、立証もしていない。)。
(5) また、県立病院整形外科における七月三日の初診時(工藤医師)所見によると、右上肢と両下肢における腱反射亢進が明らかであり、クローヌスと呼ばれる他覚的な病的反射が両膝と両足に認められた(甲七)。バビンスキー反射の有無は確認されていないが、クローヌスの存在は痙性麻痺が確かであることを示している(長島鑑定)。
この時原告から聴取したところでは、「第一病院入院中、右上下肢がしびれていた。自動運動は可能であった。左上下肢は痺れていなかった。福井整骨院にて矯正受けて改善してきている。」ということであった(甲七)。
(6) なお、原告は、県立病院整形外科通院中の平成四年一一月と平成六年二月に、転倒したり、階段から落ちたりする事故があったが、いずれも、庄医師が直後に診察したところでは、痙性麻痺を増悪し、あるいはけいれんの原因になるようなものではなかった。
(7) 単純X線検査は、第一病院でも県立病院でも行われているが、本件事故に起因したと考えられる異常所見はない。ただ、いずれの検査でも、脊椎管狭窄が認められた(甲四、七)。脊推管狭窄がある場合は外傷によって脊髄損傷を来しやすいことはよく知られている。(長島鑑定)
(8) 一般的に、脊髄を損傷すると脊髄ショックという状態になり、二週間ほど反射が低下し、さらに二週間後くらいに今度は反射が亢進するといわれる(庄証言)が、本件がそういう経過をたどったかは第一病院の記録からは判らない。
また、頸髄損傷後半年以上経ってからけいれんが発生することは、あまり例はないが、あってもおかしくはない(庄証言)。
(9) こうした経過から見ると、第一病院の診療録等には明確な記録はないものの、原告には事故当初から右側上下肢の神経症状が発生しており、その後時間の経過に従って、症状が次第に悪化したものと認められる。第一病院入院中の症状の程度に関する原告の供述は信用性に多少の疑問があるが、少なくとも県立病院に通院し始めたころには、かなり悪化していたと認められる。
(10) 県立病院整形外科の庄医師は、原告の症状と原告の述べる事故時の状況(ことに事故時に一時意識を失ったこと)のほか、MRI検査の結果(T1水平断における第三頸椎レベルの頸髄内の右側寄りに低信号域があるように見えることから、頸髄に出血があって、それが治まってきて、痕跡が繊維化していると推定される。)を総合して、原告は本件事故によって頸髄損傷の障害を受けたもの(脊髄空洞症)と診断し、原告の現在の症状はその後遺障害であると診断した。(甲七、庄証言)
(11) ところで、原告は小学校四年生のときに川に転落して以来、右上下肢に軽度の障害があり、そのために、中学校卒業時に身体障害者手帳の診断を受けて、五級の認定を受けていた(原告の主張、長島鑑定)。
原告はこの障害がごく軽いものであって、就職にも影響がなかったと主張し、鑑定人にも同旨を述べている。ただ、手帳交付時(二〇余年以前のことになる。)の診断内容は不明である。そのうえ、原告は鑑定人に告げるまでは、本件事故後の入通院中に障害者手帳のことを医師らに話した形跡はなく、本訴の本人尋問においても全く触れていなかったため、事故前の原告の右障害がどの程度であったかを認定できる資料はない(負傷から相当長い時間が経過しながら、手帳が交付されていることからすると、かなり重い障害であった疑いがある。)。
(12) 長島鑑定はMRI画像が上等ではないとして「頸髄空洞症」との診断には疑問を呈しつつ、右の庄医師の「頸髄損傷」との診断を否定してはいない。また第一病院において行われたMRI検査で異常を認めていないこと(甲四)については、画像が上等ではないとして、庄医師の右意見を否定するものとは捉えていない。
そのうえで、長島鑑定は、原告の症状経過が頸髄損傷の一般的な経過と異なるものではあるが、本件事故との因果関係を完全に否定することはできないとし、他方で、本件事故以前に存在した素因あるいは障害との関係を否定することもできない、と判断している。
3 以上に認定した原告の受傷後の症状経過、検査所見、既往症ないし素因、医師らの知見等に照らすと、右鑑定意見のとおり、1項認定の症状は本件事故と因果関係があるものというべきであり、その後遺障害ということができる。
もっとも、前記のように右側は上肢下肢ともにかねて障害を有していたこと、原告には頸椎管狭窄が生じており頸髄損傷を起こしやすかったこと、本件では重篤な外傷はなかったうえ、外傷性の頸髄損傷に見られる通常の経過をたどってはいないことからすると、原告の右既往症や素因は前記認定の後遺障害の発生に大きな原因となっていると解され、本件後遺障害の発生に、五〇パーセントは寄与しているものと認定するのが相当である。
4 そして、長島鑑定によると、現在の症状は、自動車損害賠償保障法施行令後遺障害等級表五級の6、7にいう、一上肢の全廃及び一下肢の全廃にあたると認められる。
5 なお、原告は一日一度の少量の食事しか摂ることができないという胃拡張症も残っており、これも本件事故に原因すると主張するが、甲四(県立病院内科の入院、外来診療録)や長島鑑定に照らすと、本件事故によって腹部に外傷性の損傷は生じていないし、右症状は自律神経の異常であって、それが本件事故に原因すると判断できるものではない。従って、右症状が残っているとしても、本件事故による後遺障害ということはできない。
二 消滅時効の起算点としての症状固定時期
1 前記のとおり、原告は県立病院の庄医師により、二度の症状固定診断を受けているところ、二度目の診断書(甲二)は、一度目の診断書(乙三)では「精神・神経の障害、他覚症状及び検査結果」欄を斜線で抹消していたのを、前記のとおり、「筋力低下、知覚鈍麻」等と記入した点が違うだけであって、病名、自覚症状、関節機能検査結果は一度目の診断書をそのまま利用したものである。
2 けれども、一度目の症状固定診断のあとも、原告は同病院整形外科に通院を続けていたところ、右診断時には手足は痙性麻痺に止まっていたが、その後けいれんが起きるようになり、抗けいれん剤の投与を受けるようになった(甲七、庄医師の証言)のであって、症状は固定していたとは言いがたく、従って原告において後遺障害による損害を知ったとは認めがたいから、一度目の固定診断以降、原告の被告に対する請求権の時効が進行するとは言えない。
3 さらに被告は、けいれんが発生するようになり、抗けいれん剤の投与量が増加した時点で、損害を知ることができたとも主張するが、新たな症状が発生したときは、その症状に対する治療が効を奏し、あるいはそれが変化しないとの判断ができるようになって初めて、損害を知ったと言えるから、抗けいれん剤投与量の増加があったとしても、悪化する可能性が否定できない以上、症状が固定したとは言えず、損害を知ったとは言えない。
三 損害について
1 前記のとおり、原告の現在の症状は自動車損害賠償保障法施行令別表の第五級に該当するものと言える。
2 この後遺症に対する慰謝料は、一二五〇万円をもって相当とする。
3 また、弁論の全趣旨によると、原告は本件事故までは、田中化学工業所に勤務していたが、右後遺障害によって解雇され、今後も通常の稼働が不可能になったことが認められる。
4 原告が右の勤務によってどの程度の収入を得ていたかを認めるべき証拠はないが、賃金センサスによる中学卒業学歴の男子労働者の年齢階層別の平均賃金程度の収入があったものと推定されるところ、平成七年度における三九歳の男子の右平均賃金は四六五万七一〇〇円であることは当裁判所に顕著な事実である。また、五級の後遺障害が残ったことにより、原告は稼働能力の七九パーセントを失う損害を受けたと認めるのが相当である。そして、ホフマン方式により中間利息を控除するとその逸失利益は、次のとおりとなる(円未満は四捨五入)。
4,657,100×0.79×17.2211=63,358,303
5 そうすると、本件事故による後遺障害によって原告に生じた損害は合計七五八五万八三〇四円となる(四捨五入)。
そして、右損害から、前記のとおりの原告の素因の寄与分を相殺すると、原告が加害者に請求しうる後遺症による損害額は、三七九二万九一五一円となる。
6 ところで、本件事故に適用されるべき自賠責保険の、後遺障害五級の場合の保険金額は、一五七四万円であるから、これを越える損害賠償請求権を取得した原告は、右保険金額全額を被告に請求できることになる。
四 まとめ
そうすると、原告の本訴請求は、右保険金額の限度で理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条、六四条を、仮執行宣言につき同法二五九条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 下司正明)